うつと向き合う
私のクライアントさんは7割ぐらいはがうつの患者さんです。
症状は軽い方から何年もうつを患われている方、なかには命にかかわるようなリスクを持たれている重篤な方までその症状は様々です。
病院で出会ううつ病の患者さんは特に自ら命を絶つ危険性があり病院に運び込まれた方ばかりなので、身体にたくさんの切り傷があったりします。まだ十代の子どもたちのそういった姿を見ると、いつも言葉にならないものが喉の奥からこみあげてきます。
うつ病の症状は本当に辛く、心身の倦怠感、何もしたくない、もう壁にぶつかり行き詰って呼吸もできないような息苦しさ、朝起きるのがつらかったり、夜眠れなかったり、体重が急増したり激減したり、体調も崩しやすいといったことが良くみられます。
真っ暗な穴の中にひとりで閉じ込められ、この穴から抜け出すのにもう元気など残っていない。恐ろしい孤独感が襲ってくることもあります。
もし周りの人がうつ病の方をみたら”辛くてもちょっと頑張ってみようよ”と思うかもしまうかもしれません。でもうつ病の人はたいていがすでに相当頑張っています。そして何度も挫折感を味わっています。そんな状況でまた頑張るのは簡単なことではありません。
投薬以外の心理療法的なうつ病の治療としては認知行動療法やマインドフルネスといった療法があります。うつ病の方には過度なストレスでバランスを崩す方もいれば、思考の偏り(Cognitive Distortion)によってうつを患ってしまう方もいるので、そういった方へ思考の偏りを改善したりすることで行動を変化させてうつを緩和していきます。
ただ、そもそもどうして行き詰ってしまったり、思考の偏りが起きてしまうのでしょうか?
赤ちゃんの時にはおそらくほとんどそういうケースを見られないと思いますが、成長していくにつれ人間は様々ことに遭遇していきます。
その中で困難にぶつかったり、心のどこかでしっくりしないことを経験していき、それがいよいよ自分の中で抱えきれなくなった時、心身に様々な症状として出始めます。
私がよく感じるのは今までお会いしてきたうつ病のクライアントさんのほとんどは、非常に内省力が高い方が多いということです。とても真面目に人生を生きてこられ、本来は自分と向き合う力が高い方が多いような気がします。
ただ真剣に自分に向き合うということは、その反面苦しさも増します。そして向き合いすぎて行き詰ってしまった時に他の道が見つからなくて自己を崩壊させてしまうこともあります。ただ私の経験ではこの他の道が本当に見つからない方というのは少ないように感じます。
うつの方は実は他の道も見えていたりします。それでも自分の信念や価値観、責任感や道徳観、他者からの想い、そして道徳観や他者に忠実でありすぎて、この他の道を選ばないことがあるのです。そっちの道のほうが楽で苦しまなくてすむ、行き詰らないと知っていながら...
例えば、近しい誰かを亡くし、悲しみが大きく、その悲しみをずっと抱えてしまい最終的に心身に不調を起こし、うつになってしまうということがあったとします。自分がこれ以上辛くならいない為には、悲しいけれど亡くなった方のことは忘れて、自分の生活を楽しんだほうが良いと頭ではわかっているかもしれません。苦しくない他の道が見えているかもしれません。
でも心がそういかないこともあるのです。それは個人の中にある感情や信念・価値観、道徳観、自己肯定、他者への忠誠心といった様々なことがあって、辛さの中にいることを選んでしまうこともあるのです。
サバイバーズギルトという言葉がありますが、生き残ってしまったがゆえの、他者を助けきれなかったゆえの罪悪感から、うつという自分の心身を崩して罪滅ぼしをするという道を無意識的または意識的に選んでしまうことだってあるのです。
ですからこれは私の持論ですが、単純に一朝一夕に思考方法を変えればいいやとか、リラクゼーションの仕方を習得すればいいやとかそういう簡単なことではないと思います。
もっと根源的な自分らしさ、信念や価値観、自己肯定、他人に気持ちに応えたいという想い、そういう個人の奥深くに眠っているものをもう一度ひとつひとつ確認して、どれが折り合いがつくのか、どれがやはり変えるのが難しいのか、どれが一人で変えていけるのか、どれがサポートをもらわないと厳しいのかというのを見ていかないといけないのです。
ですから行き詰ってしまった”出来事”を一度洗いだして確認し、そのひとつひとつに紐づく個人の奥底にある感情や思考といった”個人を形成するもの”を丁寧に検証し、自分の中で徐々に絡まったひもが解かれていき自分の気持ちの理解と整理ができていった時、自然治癒がおこるではないかと思います。
表面的ではなくもっと深いところからの変容を期待するのであれば、治療には当然時間がかかります。ものすごい忍耐を要するのは想像できるのではないかと思います。そしてこの長い忍耐を要する過程の中で僅かでも”希望”という要素が持てるか持てないかでも大きく変わってくると思います。
この治療の過程と忍耐と希望についてはまた次回にお話ししたいと思います。