日本人の察する力
海外で生活した経験のある日本人は一度はこういう気持ちになったことはないでしょうか。
”言葉で言わなくても察して欲しい”と。 海外でお仕事をされている方も、国際結婚をされた方も、欧米人と関わりを持った時ににこの問題にぶつかることがよくあります。例えば国際結婚をした日本人とアメリカ人のカップルがいたとして、会話がなくなってきた、アメリカ人の旦那さんは心配して話し合いたいと言うけれど、日本人の奥さんはもう話す元気もなく心の中でこう叫ぶんです。
”もういいから私の気持ちを察してほっておいて”と。 考えてみたら海外に住むのは大変なことです。まず母国語ではない英語を使って日々生活をし、居心地の良い日本からは遠ざかり、自分以外の家族は近くにはいないし、外で英語を使って疲れて帰ってきても家でもまた英語を話さなくてはいけなく、でも母国語ではないから言いたいことも上手く表現しきれない。頑張らずに肩の力を抜いて生活するということが出来ないことが多々あります。 日本にいる時にはこんなにも”生活をしていく”ということに意識せずにリラックスして暮らしていたことを思い出し、急に海外で頑張って生きていくことに疲れを感じてしまうのです。 そうなるともう外の世界を完全にシャットダウンし自分の世界に籠ったり、心の崩壊をおこしてしまいます。
その状態で周りの人から”どうしたんだ?全く話してくれないけどちゃんと話し合おう”と言われてももう”うるさい、だまってて!”となってしまうわけです。
私は日本人なのでこの気持ちが良くわかります。他人の気持ちを察してそっとしておくという優しさを相手から欲しいと思うのは日本人として当然だと思います。そしてこれが出来ない相手に遭遇した場合、この日本人の美徳と情緒を解さない無神経さに苛立ちを覚えます。 こんなふうに、”なんだってアメリカ人は察せないんだ!”となってしまったりするのですが、アメリカ人は本当に察してないのでしょうか?なんでほっといてくれないのでしょうか?次回に続きます。