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非言語セラピーの可能性

私の職業はカウンセラーですが、誰かに私の職業を聞かれた時はカウンセラーのほかに”表現アートセラピストです”とお答えしています。

だいたいこの”表現アートセラピスト”というタイトルを聞いた方は、不思議な顔をされるか

同業者の方の中には”なんか良く分からないアートを臨床心理に使うセラピストかー”といった表情をされる方もいます。

ただ大抵の方はなぜこの”表現アートセラピスト”になったのかということについては聞いてきません。タイトルを聞いて”ふ~ん”で終わりです。

私はもともと日本でカウンセラーの資格を取得しましが、その時はアートを取り入れる療法ではなく、言語のみを使うカウンセリングでした。勉強自体はとても楽しかったのですが、毎回行う臨床のトレーニングで徐々に疑問を感じるようになっていきました。

それはクライアントが言いたいことが言語で言いきれていない気がして仕方がありませんでした。言い切れない理由はなんと表現して良いかわからなかったり、言うのがはばかられたり、言葉にしてしまうのが怖かったり、理由は様々だと思いますが、向き合っているこちらとしてはこの言いきれないもどかしい感じがしっかり伝わってきてしまうのです。

そして一度見るにみかねてこう言ったことがあります。”言葉ではもう言いきれませんよね。自分の本心に嘘をついてまで頑張って言葉にしなくても良いですよ”これを言った瞬間糸が切れたように泣きだされました。

そしてそこから私の非言語への可能性を探す旅が始まりました。私は今でも非言語に関しては日本やアジアの国のほうが上手く取り入れていると思っていますが、渡米をしたのは非言語のアプローチを学びたいのではなく、非言語のアプローチを承認(Confirmation)をする方法を学びたくて、この遠いアメリカまで来たのだと思います。

なのでアメリカの大学院でもアートを使った非言語セラピーというものはこれですと教える教授にはかわいげも見せず、非言語のプロセスを効果的にサポートする、承認をしてあげる方法を教えて欲しいと主張してきました。きっと教授にもクラスメートにも変なアジア人と思われていたかもしれませんが、そこはカウンセリングを生業にする方々です、温かく私は受け入れてくれ今でもとても大切な仲間達です。

話は戻りますが、言葉に頼るということは、複雑で言葉にもなっていない状態のものまでわかりやすく表現してしまうということです。言葉はある意味ひとつのシンボルです。でも言葉のように人間の意識下にあるものは10%以下です。90%以上は無意識下にあります。だから表現できないもののほうが多くて当たり前のはずです。

ではどうして当たり前なのにそれに確信が持てないか。それは”見えないから”です。 だからこの表現アートセラピーというものは”見えない”から”見える”までの行程を少しずつ顕在化(ビジュアル化)していく手段なのです。

表現アートセラピーに関してはまた次回お話したいと思いますが、自己発見、自己探求など自分の中にある見えないものを少しずつ見えるようにしていくというのは楽しそうではないですか?カウンセリングは悪いところを治される、なんとなくマイナスのイメージを持たれがちですが、意外と実際にカウンセリングをやられている方はこの見えないものを見えるようにしていく過程を楽しんでいられるのではないでしょうか。

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